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2011年12月8日〜10日 湯村温泉〜城崎温泉〜鳥取
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2012年12月8日(木)
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湯村温泉から浜坂駅に出て山陰本線12:06分の電車に乗る。城崎温泉駅13:05分着。城崎温泉駅から外へ出るとみぞれが降りはじめとても寒い。


城崎温泉駅前大通り

駅前広場近くの駅舎温泉「さとの湯」がありそこでしばら休み、宿の案内図をみてから歩いて行く。駅前の大通りを直進して行くと城崎温泉の外湯の一つ地蔵湯が見えてくる。その手前を左に折れると柳並木の川沿いの道で、城崎らしい風情のある通り温泉らしい趣があり宿に着く前から温泉への期待に胸が弾む。
いくつか橋を横に見ながら進むとやっと宿・山よしの建物が見えてくる。


城崎温泉『山よし旅館』

『山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた......一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。』志賀直哉『城崎にて』
冒頭文

チェックインは15時と案内されていたので荷物だけでも置かせてもらおうと玄関に入り声をかけると、奥から女将さんが笑顔で迎えてくれる。
『少し早く着いてのですが』と挨拶すると『ちょっとお待ち下さい』と、奥に入っていってしばらくして戻ってきて『よろしかったらお部屋へお入り下さい』と親切に言っていただく。みぞれ交じりの雨の中を駅から歩いてきたのですっかり身体は冷え切っていて、だいぶ早い時間なのに部屋に入れてもらえてとてもありがたかった。
通された部屋は二階の角部屋で眺めのいい部屋でとても暖かい。宿の説明があってお茶をいただきしばらく休憩する。


城崎温泉外湯『鴻の湯』

一休みしたあと、城崎温泉七湯めぐりにいこうと浴衣に着替える。外はとても寒いので、浴衣のしたもしっかり防寒下着と浴衣の上には足元まで隠れる長い厚手のどてらを着て、さらに首にはマフラーを巻いて準備完了。部屋に用意された手籠にタオルと入湯券「ゆめぱ」そしてカメラを入れて外湯めぐりにいざ出発。地図で見てまず、始めは一番遠い場所にある『鴻の湯』から入る。温泉街から離れた閑静な所にあり外湯の中で最も古くから開けた湯で、舒明天皇の(1400年前)こうのとりが足の傷をいやしたことから発見されたといういわれにもとづいて名づけられたお湯で、入口で入湯券(ゆめぱ)をカード読取り機にかざすとカウントされて中に入る。浴室は大浴場のほかに庭園風呂がありすでに沢山の客で賑やかだった。

NO-SIDE HOME

城崎温泉外湯『まんだらの湯』

一番目の『鴻の湯』で充分あったまってロビーでMが出るのを待ち、次の『まんだらの湯』に向かう。10分くらいで着いたが2時から開湯であいにく外で待つしかない、他の湯を先にしようというとMがあと10分位だから待とうというのでしぶしぶ入口で待つが寒くてせっかく温まったのに又冷えてしまう。「他へ行こう」「もう直ぐだから待とう」と小さな夫婦喧嘩をしながらしょうがない折れてしばらく待つとやっと2時になって中から解錠され中に入ると「おめでとうございます、一番札です」と2つの札を進呈される。城崎温泉では外湯の一番の客にその一番札を進呈しているという説明を聞いて、寒い中を「待とう」と頑固に主張したMに感謝する。『まんだらの湯』は鴻の湯につぐ歴史のある外湯で、温泉寺の開祖道智上人が祈願をし、そのお告げにより1000日修法に入り、満願の720年1月深く掘り下げると「天より華雨降り、地より沸々と温泉が涌いた」といわれている。お湯はこぶりの湯船とやはりこぶりの露天風呂があり両方のお湯にゆっくり浸りしっかりと冷えた身体を温める。

二番目の『まんだらの湯』入口でMの出るのを待って次にむかう。手提げ籠に2つの一番手形が入っているのを見つけMは得意げににこっと笑う、その顔が少し腹立たしいが、いいお土産を貰えて心では感謝していた。

御所の湯近くの寺

三つ目はお湯は城崎温泉七湯の中で一番立派な『御所の湯』だ。『御所の湯』の名前の由来は、南北朝時代の歴史物語「増鏡」に1267年後堀河天皇の御姉安嘉門院が入湯された記事である。名前の通りその建物はまるで御所のように立派でお湯とはとても思えない。建物内もそれに劣らず平安朝の絵巻物のようなロビーだ。

城崎温泉外湯『御所の湯』

『御所の湯』の次は四つ目の外湯『一の湯』で名前の由来は江戸時代の温泉医学者・香川修徳が著書「薬選」の中で当時新湯といったこの湯を、天下一と推賞したことから
名づけられた。大浴場から外に出るとすぐに名物の洞窟風呂がある、洞窟といっても開放的で高い天井と横が洞窟というか岩でできているので狭さは感じない。


城崎温泉外湯『一の湯』

外湯めぐりの最後は一の湯近くの『柳湯』は木曜日は休業日で、温泉好きといえもう充分だったので、ここで打ち止めにして宿に帰ることにする。
夕暮れ時の温泉街は外湯めぐりに人や買い物客が行き交い今の日本では珍しく元気のある温泉街に思えた。


宿の山よしは小さな宿だが新しく清潔で黒の基調の造りは新鮮な感じがする。
湯めぐりの後の身体を休めていると夕食の時間になる。

料理が次々に運ばれてくる。季節がら、かにづくしで初めから終わりまでカニずくしで、かに刺し、ゆでがに、焼がに、かにの天婦羅、かにすき鍋、かにみそ、雑炊、デザートと「かにのフルコース」を満喫する。



夕食「創作かにフルコース」

NO-SIDE HOME

最後の雑炊がとてもおいしくて食べ残すことなくきれいに食べ終わると「よく食べましたね、こんなにきれいに食べていただくと嬉しいです」と感心された。
寝る前にもう一度お風呂に入りたくなり下におりる。山よし館内には内湯が2つあり、どちらも入るときは札を裏返すと貸切風呂になる。小さなお風呂だが静かでのんびり出来ルお風呂だ。
明日は旅行最後の鳥取へ。
2011年12月9日(金)
城崎温泉山よし
城崎温泉駅
鳥取駅
ホテルモナーク鳥取




城崎温泉から最後の目的地鳥取へ。
9:57分の山陰本線浜坂行きに乗る。
浜坂11:43分着、浜坂は昨日も利用した駅で今日は12:02分の鳥取行きに乗換え12:48分鳥取駅に着く。そこから鳥取砂丘に行く予定だったが、あいにくの雨。砂丘観光は無理なので、悔しいが中止してホテルに直行する。

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ホテルモナーク鳥取は駅から5分くらいで、今日もチェックイン時刻にはだいぶ早いが一応フロントで事情を話すと空き具合を調べたあと、こころ良くチェックインさせてくれてた。
今日も又親切にしてもらい助かった。


鳥取市内なのにここのホテルには天然温泉があり、それでここ選んだのだった。
早速着替えて一階の温泉に入りに行くと結構お昼なのに入浴客がいる。どうも宿泊客でなくそとから来て立ち寄り湯で入っているようだった。
(泉質:ナトリウム−硫酸塩・塩化物泉)
鳥取は砂丘だけが目的だったので最後の一日はお風呂三昧の休養日のようにしてのんびり過ごす。

2011年12月10日(土)
ホテルモナーク鳥取
JR鳥取駅
鳥取空港
羽田空港


NO-SIDE HOME

早朝4:00に起き朝風呂に入り帰り支度をする。チェックアウトして歩いて鳥取駅前のバスステーションへ。
バスターミナルの待合室の前列に酒の匂いを漂わせて異様な人達がいる。寒さしのぎにここに入ってきているホームレスだろうか? 近寄らないでしばらく待って6:05分のバスに乗り鳥取空港へ。 
ANA651便7:05分発羽田行き、朝一番の飛行機だが満席だった。

山陽・山陰周遊の旅 終わり。



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